47歳になりました。
誕生日はコロナに苦しんでいました。
おかげで、いまちゃんと動ける体を取り戻せた喜びは大きいです。
体の中身がゴロッとすり替わったような、体の奥深くや末端にへばり付いていた悪いものが、高熱や倦怠感を経て、ドバっと流れ出て、入れ替わった感じがあります。
SNSが定着していったこの10年。
ブログや動画で表現したいことを賢明に発信してきましたが、ここにきてひと息つけるようになった感覚があります。
これだけ他人の活躍や活動が手に取るようにわかる時代に、自分の発言だけに集中して、比べずたのしく表現するというのはとてもムズカシイ。
成果も数字でわかってしまうし、人気もコメントで判断される。
こういった評価をどうやって高めていくべきか。
そういう努力を続けてきた毎日でした。
でもね、これに終わりはなく、高みに行けばいくほど、ツラさが増すというのが実感です。
「本物になりたい」
これまで色んなことに挑戦して、なかなか成功体験を得られぬまま、この年まで生きてきて、ずっと心の中にあったのがこの想いです。
活動がきちんと評価されて、その人が発信する物事で、喜んでくれる人が大勢いる。
この状態への憧れがとても高かったので、なんとか自分が表現できることで、そこに辿り着こうと歩んできました。
が、その道筋は一本道でも、まっすぐでもなく、色んな分岐で迷い、歩み進んでは引き返し、回り道をし、道がないことを知り、一度スタート地点に戻ったりと、まぁー酷い。
どこかに根をはるために、色んな種をまいては、太い木にまで成長させることができないまま今に至る。です。
そしてこの先は、太い木にできることはないかと考えるのは辞めました。
この思考の脱皮に成功しました。

「なんのために生きているのか」の
「メメンとモリ」ヨシタケシンスケ
こたえは、まいにち ちがってても
いいわよね。
ちゃんとしても、怠けちゃっても、いい。
これだけ色んな物事や価値観があふれる時代だから、このヨシタケシンスケさんの「メメンとモリ」が、揺れちゃう心にちょうどよかった。
体とこころの中は、食べ物でも読み物でも変えられました。